安蓮社ホームページ

浄土宗大本山増上寺塔頭

墓所


安蓮社は浄土宗大本山増上寺歴代大僧正の墓を有しており、その守廟として名高い寺院です。

増上寺開山酉誉聖聡上人の墓


聖聡上人は浄土宗の八祖であり、宗の教義をまとめ数多の著書をもつ高僧です。明徳4年(1393年)増上寺を開きました。

同中興観智国師の墓


増上寺第12世源誉存応上人は、徳川家康の帰依が厚く、実質、現在に至る大寺院の礎を築いた人物です。浄土宗僧侶として初の国師号を賜り、その墓は港区の史跡として指定を受けています。

その他


そのほか、明治初期に至るまでの増上寺歴代大増正の墓が数十基安置され、現在も増上寺の修行僧らが報恩のため訪れます。墓は卵型のため、卵塔・無縫塔などと呼ばれます。



もともとこの地は大名諸侯らの墓所であり、性高院殿(徳川家康四男・忠吉)の霊廟が名古屋に移転したことが、安蓮社開創の直接のきっかけになっていると言われています。


このように安蓮社には、その特有の歴史を残すべく諸侯らの墓石が残っており、時折、郷土史家らが訪れます。このことは、難波治吉氏(港区文化財調査委員)編「東京都港区金石文並びに名墓碑集」に詳しく記され、安蓮社の全貌を知ることができます。

本尊は阿弥陀三尊像(阿弥陀如来、観音菩薩、勢至菩薩)で、開創時の歓誉大僧正の念持仏が今も伝わっています。

また、特殊法要として、神風特別攻撃隊諸霊の追善方法が、毎年10月25日に行われています。第二次世界大戦において、突撃隊として若い生命を散らしていった英霊2525霊の回向が行われています。

施主は、当時かかわりのあった人たちの有志から成る神風会数十人の人々で、特にこの法要を神風忌法要と呼んでいます。2525霊の名を掲げた霊名簿、位牌、平和観音像などが本堂脇段に安置されています。


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